« デカブリストの乱 | メイン | ホーリズム »

宋朝は北方を金に占領され

宋朝は北方を金に占領され、南渡することになった。この時代、在朝在野を問わず新学と洛学が激しく争った。南宋初、程頤の直弟子である楊時は北宋亡国の責任は王安石の新学にあるとして科挙に王安石の解釈を用いるべきではないと高宗に進言し、『三経義辯』を著して『三経新義』を批判した。また程頤に私淑した胡安国は『春秋』に注して『胡氏春秋伝』を著し、『周礼』に基づく新学を批判した。謝良佐の弟子である朱震は邵雍の『皇極経世書』、周敦頤の『通書』といった象数易と『程氏易伝』や張載の『正蒙』といった義理易を総合して『漢上易伝』を著し、王安石や蘇軾の易学に対抗した。新学を重んじた重鎮秦檜の死後、高宗によって新学の地位は相対化された。
たんたんたぬき
どんぶりトリオ
ぱちんこは私の癒し
ひとり暮らしトライ
ブロッコリー
まちぶせコンピュータ科学
モン吉コンピュータ人類
れんこんまん
安津美の日記
黄金のトランク 
花のメルヘン
環境生活情報
休日の昼下がり
空の案内人
浩子の自然エネルギー
山のクリスマス
樹の夏まつり
小さな花びら
新生活応援
晴斗の有頂天外

孝宗の時代には、後に朱子学と呼ばれる学術体系を構築した朱熹が現れる。洛学の後継者を自認する朱熹は心の修養を重視して緻密な理論に基づく方法論を確立した。彼は楊時の再伝弟子という李侗との出会、胡安国の子胡宏の学を承けた張栻(湖湘学派)との交友によって心の構造論・修養法(主敬静座)への思索を深め、40歳の時、張載の言葉という「心は性と情とを統べる」と程頤の「性即理」による定論を得、一家を成して閩学(びんがく)を起こした。宇宙構造を理気二元論で説明し、心においても形而上学的な「理」によって規定され、人間に普遍的に存在する「性」と、「気」によって形作られ、個々人の具体的な現れ方である「情」があるとし、孟子に基づいて性は絶対的に善であるとした。そして、その「性」に立ち戻ること、すなわち「理」を体得することによって大本が得られ万事に対処することができるとし、そのための心の修養法に内省的な「居敬」と外界の観察や読書による「格物」とを主張した。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.zuxgb.com/blog/mt-tb.cgi/1524

About

2009年09月27日 13:18に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「デカブリストの乱」です。

次の投稿は「ホーリズム」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35